2023年10月18日からバウホールで『My Last Joke 虚構に生きる』が主演天飛華音さん、バウ初ヒロインに詩ちづるさんと発表がありました。
詩ちづるさん、バウ初ヒロインおめでとうございます。
『1789バスティーユの恋人たち』の新人公演のヒロインに続き、バウのヒロインに抜擢されました。
研5で可愛らしいお顔立ちの詩ちづるさんが選ばれた『My Last Joke 虚構に生きる』はどの様な作品なのでしょう?調べて見ることにしました。
『Le Rouge et le Noir~赤と黒~』のマチルドは可愛らしい乙女とジュリアンを誘惑する女性を上手く演じ分けていましたよ。
歌は本当に上手でした。
キャストの発表がありましたので追記しました。
この記事でわかること
・エドガー・アラン・ポーの物語
・エドガー・アラン・ポーの生い立ち
・エドガー・アラン・ポーの死去後も、死の真相解明には至らず
・エドガー・アラン・ポーは現在の推理小説のスタイルを確立していた
・バウ初ヒロインは詩ちづる、そして2番手へ
My Last Joke 虚構に生きる宝塚のあらすじ
抒情溢れる詩や短編小説により、後世の作家たちに多大な影響を与えたエドガー・アラン・ポー。1809年アメリカ、ボストンに生まれ、数多の詩や短編小説を書き続け、生活のため時に雑誌編集者ともなった彼が、作家として本当に描きたかったもの、人生で追い求めようとしたものは何なのか……。
宝塚ホームページより
彼の作品に残る言葉の数々、彼の妻となるヴァージニア、彼の人生や作品に関わる作家や編集者たちとの関係を軸に、自らの運命を自覚した上で、その運命に挑み続けた人生を鮮やかに描き出す。
エドガー・アラン・ポーは優秀な少年で1815年家族でアメリカからイギリスに渡ります。
上流階級の暮らしの中、義父の事業の失敗で、5年後にはアメリカへ帰国します。
住む場所は違っても、ポーにとっては上流階級の暮らしが続き、大学に入学するまでは順風満帆といったところでしょう。
1826年『ヴアージニア大学へ17歳で入学』上流階級の生活を維持する為、見栄もはり、膨大な借金で大学を中退します。
当時19歳で大学に入学するのが普通なのに、優秀だったので飛び級ができたのです。
もちろん、裕福な家庭だったことも一因です。
翌年、年齢を22歳と偽ってアメリカ陸軍に入隊し、18歳で第一詩集『タマレーン、その他の詩集』を出版したが全く売れませんでした。
21歳でウェスト・ポイント陸軍士官学校に入学後、短編小説が掲載され始めますが、そこでの生活もポーの思っていたような自由なものではありませんでした。
義父の再婚問題で勘当され、遺産相続が無くなったため、放校処分となります。
放校処分って何ですか?
学校側からの処分として学校から追いだされることです。
退学は途中で学校を自らやめること。
いうなれば、退学を勧められたらイエローカード、放校処分はレッドカードですね。
叔母の家の居候時代に短編小説を執筆し、作家ジョン・P・ケネディと知り合い、雑誌『サザン・リテラリー・メッセンジャー』への掲載と編集者の職を紹介され、有能な腕を買われて編集者になりました。
親戚の13歳の少女ヴァージニアを妻にしようとしますが、反対され、酒に溺れていきます。
編集者として数年活躍しますが、給料が実力に合わずに安いことで経営者と対立し免職となります。
『グレアムズ・マガジン』では「群集の人」「モルグ街の殺人」「メエルシュトレエムに呑まれて」などの短編のほか多数の評論を発表し、1年半後には『グレアムズ・マガジン』は発行部数3万7000部を誇る、アメリカ合衆国最大の雑誌へと成長しました。
ヴァージニアの伯母にやっと許しを得て公開結婚式を上がることができました。この時ヴァージニアは16歳でした。
1839年、短編集『アッシャー家の崩壊』『ウイリアム・ウイルソン』を出版しました。
この短編小説は、『世にも怪奇な物語』というホラー映画になりました。
関連:(映画『世にも怪奇な物語』1967(仏・伊)の第2話「影を殺した男」)のDVDは売り切れでしたが、2023年8月に「ホラー秘宝まつり 2023」(23年8月18日~、東京・キネカ大森、アップリンク吉祥寺ほか)にて4Kリマスター版で上映されます。興味がある方はご覧ください。
その後『ジェントルマンズ・マガジン』で編集者になりましたが、やはり創刊者ともめて辞職しました。
心から望み愛した妻が22歳で喀血し、また酒に溺れていき、生活も困窮していきます。
1847年についに愛しい妻が亡くなり(アランは当時38歳)、2年後にセアラ・ロイスター・シェルトンと婚約しましたが、結婚式の前に事故で亡くなります。まだ40歳でした。
この事故も謎が多く、最近になり色々な情報が手に入り、少しづつ解明されているのですが、まだ全容解明には至りません。
エドガー・アラン・ポーの理念
それぞれのジャンルにも確固たるポリシーを持っていました。
恐怖小説を書く場合は「死」「病」など人間が本能的に感じる恐怖や「罪悪感」「死からの再生」など人間自身が生み出す感情をテーマにしています。例えば『早すぎた埋葬』では生きたまま葬られた恐怖。
読者が感情移入しやすく読み終わった後も心に残りやすい「恐怖」をポーは巧みに描き出したのです。
「黒猫」の主人公は、ポーを思わせるような大酒飲みで、はじめは愛猫(黒猫)をかわいがっていました。しかし酒の悪酔いが原因で、だんだん素行が悪くなっていきます。
”天邪鬼というテーマが「黒猫」の物語を動かす中核にある。”という感想をみました。
天邪気とは、大多数の意見に逆らうような行動をする、素直でない性質のことです。
黒猫が魔女という考えもあり、化けて出るとか呪われるというイメージをさらに強く想像させるような文章にはドキドキしますね。
これはエドガー・アラン・ポーは黒猫で、自分の性格を利用して物語を作っていて、黒猫に登場する主人公は、ポーの持つ性質を持ちあわせているのだと思います。
エドガー・アラン・ポーの詩は「美」にあるとし、創作における「効果の統一性」や「印象の統一性」を強調しており、その統一性をもたらすために作品の長さが「一気に読めるようなもの」でなくてはならないとして、詩については長大な叙事詩を時代遅れのものとして退けました。
推理小説であれば、トリックや犯行などを構想して最後に探偵が謎解きをするという仕組みをポーが作り出しました。探偵オーギュスト・デュパンと助手という組み合わせもポーの作品から始まり、『モルグ街の殺人』『マリー・ロジェの謎』『盗まれた手紙』は、のちの推理作家コナン・ドイルたちにも影響を与えています。
小説については1、2時間で読める短編小説(物語)を長編小説よりも優位においていました。
初期の書評で展開されたポーの批評原理は晩年に「詩作の哲学」「詩の原理」という講演で纏められており、「詩作の哲学」では自作1845年作品の「大鴉」の各詩行がどのような意図で語を選択しているのかを明らかにしていき、「詩の原理」では本質を説きながらポーの愛読するさまざまな詩を解説しています。ですがこの『大鴉』の報酬はわずかなものでした。
アメリカでは人気が無かった理由のひとつとしてはアメリカ文学の始まりがアメリカ北部であったことがあげられます。
文学においての地位や名誉を決める権限を持っていたのが北部の人々だったため、アメリカ南部出身のポーは当初からあまり良い目で見られていなかったのです。それに加えて、当時のアメリカ北部は清教徒(キリスト教のプロテスタント)の多い地域だったために文学は道徳や倫理性が重視されました。
エドガー・アラン・ポーのおいたち
1809年1月19日、アメリカマサチューセッツ州ボストンで産まれました。
女優エリザベス・ポーと俳優デイヴィッド・ポーの息子でエドガー・ポーという名前です。
2つ上の兄のウィリアム・ヘンリー・レナードがいます。
1年後にやや知恵遅れの妹ロザリーが誕生します。
母は産後の肥立ちが悪く、1811年1月には舞台に復帰していましたが、結核にかかり同年12月に他界し、3人はそれぞれ引き取られます。
商人ジョン・アランに引き取られ1812年に洗礼を受けエドガー・アラン・ポーとなりました。
ジョンは商売を拡大し大金持ちになり、ロンドンに支店を出し一家で引っ越し、エドガーはいつもポケットに大金を持つ裕福な少年時代を過ごしました。
ロンドンでは、かなり裕福な生活をしていたようです。
まだ6~8歳でポケットにドル札を数枚入れていたことからもわかります。
この自由奔放さがお金の大切さや使い方が身につかなかったのでしょう。
しっかりお金の教育を受けていれば違った人生だったかもしれません。
1819年に義父が事業に失敗し負債を抱えてリッチモンドに戻ることになります。
上流階級の振る舞いが抜けず、最高級な教育を受けることになり、成績も優秀でした。
義父は伯父ウイリアム・ゴルトの遺産を相続し別荘を購入し、エドガー・ポーも別荘に住んでいました。またしても金持ちに返り咲きします。
もともと、お金に縁がある人には、巡ってくるんですね大金が…
羨ましいです。
そして、お金のない苦労をあまりしていないか、苦労を苦労と感じていないかでも人生が大きくかわるんですけどね。
1826年17歳1か月でヴァージニア大学に入学(当時は19歳くらいで大学入学が普通だったのでかなり優秀だったようです。)し、美少女サラ・エルマイラ・ロイスターと恋に落ち、密かに婚約を交わしていましたがエルマイラの父に反対され破局となります。
ヴァージニア大学はお坊ちゃま大学で学生たちは豪華な身なりをして奴隷を従えているのが当たり前なので、同様にすればお金が不足してくるのは目に見えていました。
義父が最初に渡した110ドルでは足りず、追加の39ドルでも足りずに高利貸しから金を借りてしまいます。
(上流階級の生活から抜け出せないので、借金しても生活を維持しようとしたのでしょう。)
また、学業でよい成果をあげてはいたが、その一方で、金銭や生活面での自己管理ができる性格ではなかったのです。
義父からの送金が遅れ、トランプ賭博をし、借金を抱え、1826年のクリスマス休暇で帰省した時には2000~2500ドルの借金を抱えていました。
大学で優秀な成績を収めていましたが、義父は戻ることを許さず、大学を辞めざるをえなくなったポーは、1827年3月に家出同然にリッチモンドの実家を出てボストンに向いました。
ボストンに着いてからはアンリ・ル・ランネという偽名を使い、、5月になってエドガー・A・ペリーという偽名を使い、また年齢も18歳を22歳と偽って、アメリカ合衆国陸軍に入隊しました。
7月に第一詩集『タマレーン、その他の詩集』を出版したが全く売れません。
1830年7月、ポーは入学試験を経てウェスト・ポイント陸軍士官学校に入学。
短編小説の執筆を始め、1832年の1月、『サタデー・クオリア』誌に「メッツェンガーシュタイン」が採用され、以後同誌に「オムレット侯爵」「エルサレムの物語」「息の喪失」「バーゲンの損失(のち「ボンボン」として改筆)」が掲載されました。
陸軍士官学校も酒におぼれ、除隊されています。
優秀なのに、金銭や生活面の管理が上手くできず酒に逃れていきます。
1833年からは『サタデー・ヴィジター』誌に詩や短文を掲載した。この頃ちょうど同『サタデー・ヴィジター』誌が短編と詩の懸賞を打ち出したため、ポーは『フォーリオ・クラブ物語』と名づけた短編6編と詩を投稿、このうち短編「壜の中の手記」が最優秀作に選ばれ賞金50ドルを獲得しました。
ポーはまだ13歳の少女であった従妹のヴァージニアへ求婚し、それを叔母マライアに拒絶されていたことから飲酒の量が増えるなどして心情が荒れており、『メッセンジャー』誌の職を短期間で辞してしまいます。
ヴァージニアへの思いは真剣だったとしても、まだ13歳の少女との結婚は流石に反対されるでしょう。私が母親なら、やはり反対します。せめて18歳までは…
そして思い通りにならない気持ちを、また酒にぶつけています。もうアルコール中毒なのでは?
しかし度重なるポーの説得にマライアが折れ、1833年9月にボルティモアの郡裁判所から結婚許可を受けることができました。当時ポーは24歳、ヴァージニアはまだ結婚不可能な13歳1か月でしたが、結婚誓約書には21歳と記されていました。
1833年10月からリッチモンドへ引っ越し、リッチモンドの『サザン・リテラリー・メッセンジャー』誌に作品を掲載します。
さらにその後同誌の編集長が退職すると、ケネディの推薦で『メッセンジャー』誌の主筆編集者として迎えられることになりました。
1836年5月にポーはクレム叔母やホワイト、トマス・クリーランド知事など9名を招いて16歳のヴァージニアとの公開の結婚式を挙げました。
彼は編集者として活躍しますが、創刊者と対立して、1837年に免職されます。
このジェントルマンズ・マガジンの創刊者とは、自分の能力に給料が見合わないと訴え免職されます。
ポーを安く使っていたのか?ポーが高望みだったのかはわかりません。
ただ、アメリカ南部出身のポーは当初からあまり良い目で見られていなかったし、退廃的な小説や怪奇的な小説を書くポーの評価は当時は低かったと思います。
1836年11月に創刊した『グレアムズ・マガジン』では「群集の人」「モルグ街の殺人」「メエルシュトレエムに呑まれて」などの短編のほか多数の評論を発表し、1年半後には『グレアムズ・マガジン』は発行部数3万7000部を誇る、アメリカ合衆国最大の雑誌へと成長しました。
1839年、短編集『アッシャー家の崩壊』『ウイリアム・ウイルソン』を出版しました。(映画『世にも怪奇な物語』1967(仏・伊)の第2話「影を殺した男」になっています。)
1842年1月には妻ヴァージニア(22歳)が自宅でピアノを弾いていた最中に喀血、結核の最初の兆候であり、以後ヴァージニアの病状にも気を取られ、また酒の量も増えていきました。
まだ22歳の愛妻ヴァージニアが結核にかかりさぞかし、落胆したのでしょう。
また、酒に走ります。本当にアルコール中毒だったのでは?
1843年『黒猫』
1845年には長詩『大鴉(“The Raven”)』が好評となり、時の人となり、ようやく詩人として認められるようになりましたが、生活は依然として苦しいまま。
1847年、妻ヴァージニアが肺結核で死亡。
27歳のヴァージニアが死去し、その2年後に婚約します。
ですが、結婚式を挙げる前にポーは事故死で亡くなってしまいます。
この時の着用していた服がボロボロでサイズが合わず、帽子もかなり古いものであったことでおしゃれなポーとは雲泥の差であったことが疑問で、真相の解明が進められています。
事故死ではなく酒を無理やり飲まされて当時、選挙時期だったことから、無理やり投票させられたのではないか?ではなぜ服装が粗末な物なのか?の解明は中々できないようです。
1849年の夏、セアラ・ロイスター・シェルトンと婚約しましたが、義母を結婚式に招くため、ニューヨークに引き返す途中、ボルティモアで争いに巻き込まれ、泥酔して路上に倒れているところを発見され、10月7日にそのまま息を引き取りました。(ということになっていますが真相は不明です。)
バウ初ヒロインは詩ちづる
いやーついにきましたね、バウヒロイン!これでほぼトップ娘役に限りなく近づきました。
バウ初ヒロイン、おめでとうございます。
SNSでも話題になった『Le Rouge et le Noir~赤と黒~』では詩ちづるさんの新たな一面をみたようで、マチルドで詩さんを認識したファンも多く、東上Wヒロインだったので、もう1回東上ヒロインか、全ツのヒロインでトップ娘役かなあ。
研5ですね。高音が透き通っていてよく響く歌が上手な娘役です。ちょっとアニメ風な声の時があるのが気になりますが、お芝居や歌はどんどん上手くなっています。
そして、今回のヴァージニアは13歳~22歳の役です。詩ちづるさんか藍羽ひよりさんがヒロインに向いてるかなと思っていました。
星組は99期の小桜ほのかさん、102期の水乃ゆりさん、103期の瑠璃花夏さん、107期の藍羽ひよりさんが新人公演のヒロイン経験者です。
これで現状星組2番手になりましたね。
娘役の場合は2番手羽根はないのでわかりにくいですが、『Le Rouge et le Noir~赤と黒~』の階段降りですでに単独で有沙瞳さんの前(3番手位置)でした。
関連記事:詩ちづるの組み替えの意味やプロフィールと阪急ポスター後ヒガシマル就任
関連:『Le Rouge et le Noir~赤と黒~』
キャスト
キャストの発表がありましたので追記しました。ポスターの天飛華音さん、詩ちづるさんが綺麗ですね。
エドガー・アラン・ポー | 天飛華音 |
ヴァージニア・クレム | 詩ちづる |
トマス・ホワイト | 美稀千種 |
ルイス・G・クラーク | 朝水りょう |
マリア・クレム | 澪乃桜季 |
ジョージ・グレイアム | 夕渚りょう |
フランシス・アラン | 七星美妃 |
ジョン・アラン | 希沙薫 |
ルーファス・W・グリスウォルド | 碧海さりお |
ウィリアム・バートン | 夕陽真輝 |
サロンの淑女 | 彩園ひな |
エリザベス・ポー | 紅咲梨乃 |
大鴉 | 鳳真斗愛 |
フランシス・S・オズグッド | 瑠璃花夏 |
ジョン・R・トンプソン | 御剣海 |
ナサニエル・P・ウィリス | 稀惺かずと |
ヘンリー・W・ロングフェロー | 大希颯 |
エリザベス・F・エレット | 乙華菜乃 |
まとめ
2023年10月18日からバウホールで『My Last Joke 虚構に生きる』が主演天飛華音さん、バウ初ヒロインに詩ちづるさんと発表がありました。
詩ちづるさん、バウ初ヒロインおめでとうございます。
『My Last Joke 虚構に生きる』はエドガー・アラン・ポーの物語です。
アラン・ポーを102期の天飛華音さん、ヴァージニアを詩ちづるさんが演じます。
27歳までしか生きられなかったヴァージニアを心から愛し、自分の信念は曲げず生きていたポーも40歳という若さで事故死します。
ですが真相は解明できず謎のままです。
小説や詩に確固たるポリシーを持っていました。『早すぎた埋葬』『黒猫』は死に対する恐怖や罪悪感や死からの再生を巧みに描き出しました。
また、推理小説は、『モルグ街の殺人』『マリー・ロジェの謎』『盗まれた手紙』で探偵オーギュスト・デュパンと助手という組み合わせもポーの作品から始まりました。
シャーロック・ホームズを生み出した、のちの推理作家コナン・ドイルたちにも影響を与えています。
波乱万丈な人生だったポーを天飛さんがどのように演じるのか、少女から大人の女性までを詩さんがどの様に演じるのか楽しみです。
関連記事:天飛華音は父親好き!(パパっ子女子?)プロフィールや最後の新人公演主演
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